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最後は“適応する気持ち”が大事10年以上勤めた会社を辞め東京から島根へ

最後は“適応する気持ち”が大事
10年以上勤めた会社を辞め
東京から島根へ
最後は“適応する気持ち”が大事
10年以上勤めた会社を辞め
東京から島根へ
中島さん
中島さん (第2バリューデザイン部 マネージャー)

2016年にテクノプロジェクトに中途入社
現在は文化・教育系のソリューションを提供するグループのマネージャーとして働いている

中島さん 中島さん_SP

福岡県で生まれ、大学時代を島根県で過ごし、その後は東京のメーカー系SIerで11年間勤務していた中島さん。そんな中島さんがなぜ島根県のテクノプロジェクトに中途入社したのか、その理由や入社後のキャリア、会社の印象について聞いてみました。

■家族とともに島根県で暮らす決断

――11年間勤めていた東京の会社を辞めて、なぜ島根県で転職しようと思ったのですか?

島根県出身である妻の影響が大きかったですね。東京では、妻と3人の子どもたちと一緒に暮らしていましたが、妻は結婚する際に「ずっと東京で暮らすのは嫌だ、子育てをするなら島根に帰りたい」と言っていました。それでいつ島根に戻るかずっと迷っていたのですが、子どもが大きくなってからだと転校に伴う負担も大きくなると考え、長女が小学校に入るタイミングで島根に戻ることにしました。

――島根県の企業の中でもテクノプロジェクトに入社しようと思った決め手は何ですか?

テクノプロジェクトの採用担当と、前職のメンバーの後押しですね。テクノプロジェクトの存在を初めて知ったのは、妻が紹介してくれた島根県へのIターン向け企業説明会でした。その会場でテクノプロジェクトの中途採用の担当者に声をかけていただいて、会社の説明を聞いたのが興味を持ったきっかけです。その担当者が私の相談に対しても親身になって対応してくれて、そこから会社への印象も良くなっていきました。
また前職でもかなり職場の人間関係が良かったので、周りの人たちに転職の相談をしていました。そうしたら前職の購買担当の方がテクノプロジェクトについて詳しく調べてくれて、安定した会社だということを教えてもらいました。それが後押しとなって、転職を決意することができました。

■経験したことのない「0→1」、SEとしてのスキルの幅が広がった

――テクノプロジェクトに転職後はどのような仕事をしてきましたか?

2016年7月に入社し最初はクラウドサービスを提供する部署に配属され、自治体向けのホームページ管理システムの導入に携わりました。前職でプロジェクト管理などは既に経験があったので、9月にはすぐにプロジェクトを任されるようになりました。そこからは、ホームページの構築・導入プロジェクトの管理を立て続けに行い、2017年度が終わったタイミングで主任(現在のリーダー)に昇格しました。
そこから2年間は主任として引き続きホームページの制作などを行いながら、自社のパッケージ開発も行うようになりました。さらに、2019年にはマネージャー昇格の打診がありました。中途で入社してからの仕事ぶりをテクノプロジェクトの周りの社員たちに評価してもらえたみたいで、その時は非常に嬉しかったですね。それから4年間マネージャーをやってきて、現在に至ります。

――前職との違いは何かありましたか?

前職は会社の規模が大きかったこともあり、システムの環境構築・開発・導入などをチームで分担して行っていました。その中で私は主に既存のシステムの改修を担当していました。しかし私がテクノプロジェクトで担当することになった自治体のお仕事は、自治体ごとに個別で作り上げる必要がありました。そのため環境構築・開発・導入を全て自分たちで0から考える必要があり、そこが非常に難しかったですね。
前職では既にあるシステムを改修するのが仕事だったため、0から作り上げるプロジェクトの経験はありませんでした。テクノプロジェクトの生え抜きの社員たちはこの「0→1」の仕事に慣れているのがすごいなと入社時は感心していました。システムエンジニアとしてのスキルの幅は、テクノプロジェクトに入社してからの方が広がっていると実感しています。

■島根県にいながら業界トップレベルの仕事ができる

――現在の仕事内容を教えてください

2023年度からは、富士通の文教(文化・教育系)パッケージソリューションを全国各地に提供しているグループに異動し、そこでマネージャー業務をしています。具体的に私のグループが開発元として担当しているのは、図書館システムと、博物館・美術館システムの2つです。それぞれベテランのチーフエンジニアがいて、開発チームをつくっています。私の業務はマネージャーの立場として、それぞれのチーム形成のサポートや、各チームのメンバーと1on1面談をしてモチベーション向上などを図っています。

――マネージャーとして働く上で、具体的にどのようなことを意識していますか?

画一的に同じやり方を全員に適応することは避け、チームやメンバー一人ひとりに合わせて最適な対応を取るように心がけています。
例えば、図書館チームは組織改変によりメンバーが極端に少なくなってしまいました。そのため、新しくメンバーを連れてきたり、博物館チームのメンバーに支援に入ってもらったりしています。メンバーの増加とともにルールやノウハウの蓄積も進んでおり、まさにチーム形成の真っ最中です。一方で、博物館チームはメンバーが十分に揃っており、週ごとに実施される業務改善に関するミーティングを通じて、積極的な改善活動を展開しています。これにより、チームの組織力が一層高まっていると感じています。
各メンバーとの1on1面談では、若手社員に対しては今やっている仕事に対する動機付けを行ったり、不安や不満の相談に乗ってそれを解消したりしています。面談中はコーチングの姿勢で、会話の主体はその社員になるように心がけています。一方でベテラン社員に対しては、文教グループとして足りないところを相談して話し合ったり、若手社員をどうやって将来的に成長させていくかを考えたりしています。

――文教の仕事ならではの魅力はありますか?

まずシステムの開発では、島根県にいながら業界トップレベルの仕事を担えるということです。富士通と協力して仕事をしている企業は多数あると思いますが、当社は富士通のパッケージソリューションを複数任されており、開発元として信頼されています。当社に蓄積されたノウハウや技術力を期待されているので、高い技術水準で開発に向き合えるのはシステムエンジニアとしてのやりがいに繋がってくると思います。
次にシステムの導入・運用においては、様々な地域の文化施設を訪れることができることです。文教グループが提供しているソリューションは全国各地の図書館や博物館に導入をしています。そのため、現地の導入作業のために全国に出張することがあります。例えば歴史が好きなメンバーは、全国の歴史資料館をまわれることにウキウキしています。ソリューションの対象自体に興味がある人にとっては最高の環境だと思います。

■「転職への不安は間違いなくある」最後は“適応する気持ち”が大事

――テクノプロジェクトへの転職を考えている方に、何かメッセージをお願いします

私は転職をするにあたって、最後まで心のどこかに不安が残っていました。程度の違いはあると思いますが、転職という大きな環境変化に対して、誰でも不安は最後まであると思います。だからこそ、「新しい環境にしっかり馴染んで、不足があればそれを補えばいい」という“適応する気持ち”を持てるかどうかが重要だと思います。
私は大学で情報処理を専攻していたわけではありませんでしたが、それでも前職でSEとして評価される立場になっていったという経験がありました。私は過去の適応した経験を自信に変えて、最後は“適応する気持ち”をもって転職を決めることができました。
実際、テクノプロジェクトには、教育受講を積極的に推奨する風土があり、業務・教育を通じて成長する機会はたくさんあります。どんな些細なことでもいいので、これまで自分が環境変化に対応してきた経験に自信をもって、最後は“適応する気持ち”でチャレンジしてみてください。